読書『自閉症という知性』池上英子 著(NHK出版新書)

 私はフェルメールの《牛乳を注ぐ女》やその他の作品を展覧会で観たとき、直感的に「きっとこの画家は見えている世界が私(たち)とは違うじゃないか」と思いました。フェルメールに限らず、優れた画家や写真家の作品に触れると、いつもその人の見ている世界はきっと私は見たことのないものだと思い、興味が湧くのです。当然のことながら、私が知っている世界は、私が観た世界であり、他人が観た世界を体験することはできません。『自閉症という特性』を読むことにより、自分以外の目で観た世界とその捉え方について垣間見ることができます。

 本書は、発達障害や自閉スペクトラム症の当事者に、ニューヨーク在住の社会学者である池上英子さんが時間をかけて関係を構築しながら取材した労作です。登場する方々は、知的障害は伴っていないアスペルガーで、企業で働いたりアーティストとして活躍してる社会人ですが、この本でいう「定型的知性」の世界に身を置き折り合いをつけて工夫しながら働きつつ、「非定型的知性」のコミュニティ(ネット上の仮想空間など)の中や、漫画や音楽などの作品世界の中で本来の自分を発揮する生活を送っています。

 この本が素晴らしいのは、「知性」や「認知」の在り方、著者がキーワードとして挙げている「ニューロ・ダイバシティ(神経構造の多様性)」を丁寧に読み解いていることです。もちろんここでは非定型と言われる自閉傾向の方、視覚優位の方が話の中心になっています。その方々の能力の高さと発想の豊かさに驚かされます。ある人は、仮想空間で複数のアバターを同時に操りながら他のアバターと会話し、自身で作り上げた「ビックリハウス」という空間で自由に振る舞っています。また、ある人は激しい聴覚過敏と付き合いながらギター奏者になり、共感覚の(独立した感覚が、同時かつ自動的につながって呼び起こされること)の能力を活かして、音程や旋律に色彩を感じながら豊かな音楽を奏でます。

 視覚優位の特性についても興味深い世界が広がっています。先ほどのギター奏者は明朝体のトメ、ハネが図形(三角形)として頭に入ってきてしまい、なかなか全体像としての文字が見えてこないといいます。これは細部から認知して、それを広げていきながら意味づけし統合していく「ボトムアップの認知」による一例です。この人にとってはゴシック体の方がずっと読みやすいのです。

 非定型の方々の生きづらさは切実に語られています。私は定型的な人間としてまず多様な認知の世界を知ろうと気をつけて他者のことを思う必要があるはずだし、そもそも定期的な知性の中であっても千差万別の認知が存在し、それが人の向き不向き、得意不得意、ミスしやすいなどの、能力や性格に反映されているのだと考えたわけです。