カンタータ第159番《見よ!私たちはエルサレムへ上ってゆく》

 五旬節(Quinquagesima)とは、一体どのような日なのでしょうか。

 ブリタニカ国際大百科事典によると「カトリック教会の典礼歴で復活祭に先立つ40日を四旬節と称し、その第1日目である水曜日を灰の水曜日というが、これに先立つ日曜日を五旬節の日曜日という。四旬節の苦業と断食の期間直前の日曜日として、これに続く月、火曜日とともに歓楽に興じる俗習が生じた(→カーニバル)」とあります。

 バッハは五旬節のためのカンタータを4つ残しましたが、今回はその中で最後に作曲されたカンタータ第159番を取り上げたいと思います。

 カンタータ第159番は1729年2月27日に初演されました。作詞は《マタイ受難曲》を担当したピカンダー(「かささぎ男」の意)によるものです。バッハはピカンダー作詞のカンタータを9曲残していますが、いずれも1728年に出版された詩集『通年の日曜日・祝日のためのカンタータ集』に収められています。

 さて、第一曲は動きのある低音のリズムに乗ってバスが聖句を歌うアリオーゾです。「見よ!私たちは上ってゆく、エルサレムへと」と受難に関する情景が歌われます。しかし、4小節目で「来て、見なさい、私の心よ」と唐突に悲劇的な調子でアルトが入ってきます。動きのあるアリオーゾとは対照的に低音は引き延ばさてレチタティーヴォを歌います。よってこの第一曲は、イエス(バス)と信者(アルト)の対話という構造になっていると言えるでしょう。バスが「エルサレルへと」というと、すかさずアルトが「ああ、行ってはだめです!あなたの十字架があなたを待ち構えています」と歌い、演劇的な効果を生んでいます。

  続く第2曲にも2つの声が登場します。1つはアルトのアリアです。「私はあなたについて行きます。唾と恥辱の中でも」と信者の信仰が歌われます。するともう一つの声であるソプラノのコラールが被さります。このコラールは⦅マタイ受難曲⦆の第15曲と第17曲に出てくるパウル・ゲールハルト《おお、血と傷にまみれた御頭よ》(1656)の第6節を歌ったものです。コラールの内容もアリアの自由詩を補完するような内容になっており、天の声であるかのように大変に美しく調和しています。それもそのはずで、ソプラノにはオーボエが同じ音を重ねています。伴奏は簡素ですが、8分の6拍子によるリズムのある通奏低音です。

 第3曲はテノールのレチタティーヴォです。次のように始まります。「いまも私は、私のイエスよ、あなたのことで自分の片隅で悲しんでいます」。ここでの語り手は受難を目撃していた当時の信者か、はたまた教会に座る現代の信者か、どちらにも解釈できそうです。

 さて、いよいよ第4曲のバス・アリアです。このアリアによってカンタータ第159番は価値を高めていると言えるでしょう。変ロ長調による安らかで牧歌的なオーボエの旋律。バスは「果たされた、苦しみはすべて終わった」と歌います。「eilen急ぐ」という言葉に充てられた急速なメリスマ。「gute Nacht おやすみなさい」の部分は1小節半に渡って音が引き伸ばされています。修辞的な表現に事欠かないバッハの典型的な表現だと言えるでしょう。

 最後はStockmannのコラール(1633)により「イエスよ、あなたの受難は私にとってまがいなき喜び」と歌い閉じます。豊かな和声が聴かれます。

 カンタータ第159番は小さな編成による短いカンタータですが、立体的な音響に満ちた小さな受難曲と言ってもいいのかもしれません。