カンタータ第33番《主イエス キリストよ、ただあなただけに》

右のスコアはBWV33の冒頭リトルネッロである。

これはわくわくする出だしだ。まずオーボエが飛び出し、一小節ごとに次々と楽器が重なっていくように作曲されている。16分音符の紡ぎ出しは2本のオーボエのための協奏曲といった趣だ。

 

《主イエス・キリストよ、ただあなただけに》BWV33は1724年に作曲された模範的なコラールカンタータであるが、私はこのカンタータにおけるオーボエの響きが好みで時たま聴いている。

最初に触れた冒頭合唱も木管と弦がスリリングかつスピーディで格好がいい。さらに、第5曲のテノールとバスのための二重唱が感動的なのだ。時に寄り添い、時に離れて響き合う2本のオーボエの少し切ない雰囲気がたまらない。歌われる内容は「私が隣人を愛せるように、困ったときは聖霊を送って助けてください」というもの。デュエットは愛の絡み合いを表すというわけなのか?

そして、このカンタータの中心は第3曲のアルト・アリアだろう。「私の臆病な歩みの揺れ」を弦のピッチカートが表現する。ミュート付きヴァイオリンのオブリガートもやさしく心地よく歌う。

このように大変に美しいカンタータであるがゆえに、歌詞の内容にあまり共感できないのが個人的な悩みの種になっている(それは私がキリスト教徒ではないからなのだろう)。歌詞の中に出てくる「私」は、第2曲で神の裁きを怖れて赦しを請い、第3曲でイエスの慰めにより罪の重荷から助かり、第4曲で、「私」を退けないでください!信仰を与えてください!と懇願する。どうも神に頼りすぎている気がしてならない。確かに人間は愚かで俗世は卑しい。でももう少し人間にも自力が欲しい。ここでは神にすがる「私」しかいない。どのように考えれば合点がいくだろうか。