カンタータ第60番《おお永遠、雷の言葉よ》

 Manon Gropius(1916-1935)
 Manon Gropius(1916-1935)

バッハによる《おお永遠、雷の言葉よO Ewigkeit, du Donnerwort》というタイトルのカンタータは2曲存在している。一つ目は1723/24年シーズンに作曲された唯一のダイアローグ・カンタータBWV60。二つ目は1724/25年シーズンの幕開けを飾ったコラール・カンタータBWV20である。BWV60の方は、そこそこ知られたカンタータである。ダイアローグとは「対話」を意味し、対義語はモノローグである。対話ということだが登場人物はあくまで寓意的で、死におののく『怖れ(アルト)』に、『希望(テノール)』が対置し、さらに『天の声(バス)』が『怖れ』に啓示を与えて、ドラマは展開していく。

 

初演当時、耳を傾けていた信者たちはその出だしから新鮮な思いがしたことだろう。冒頭のリトルネッロは「永遠」を表すコンティヌオのドローンと「雷」を表す弦と2本のオーボエ・ダモーレの16音符の波によって近代的かつレトリカルにスタートする。

しばらくしてから、J.リスト作のコラールをアルトとホルンがペアになって歌い始める。このアルト・パートを独唱にするか合唱にするかは意見の分かれるところだが、私は合唱で歌ったほうが効果的ではないかと考えている。曲の冒頭でアルトが『怖れ』の寓意だということは明かされていないわけだから、むしろこの地点ではコラールの効果を視覚的にも音響的にも強化したほうが、その次に出てくるテノールのアリア的な詩篇の挿入が際立って劇的に聴こえるように考える(とはいえ、独唱のバージョンの方が自然な解釈ともいえる)。

 

続く、レチタティーヴォとアリアで『希望』は「我々にはイエスがついている、だから大丈夫だ」と、『怖れ』に信仰の威力を示すが、『怖れ』は「死の不安、最期の痛み」に打ちひしがれ、両者の意見は交わらない。そこに第4曲のレチタティーヴォで『天の声』が登場し、『怖れ』に「死者たちは幸いだ」と語りかける。『天の声』は3回入るのだが、決まってそこだけアリオーソになるため、信者はその声がイエスの声だと確信する。『怖れ』も最後は「それなら!私は今から後、幸せになるでしょう」と希望を抱き、ベルクが引用したことでつとに有名なコラールへと入ってゆく。増四度の上昇音型で歌われる「もう十分です Es ist genug」は新鮮な響きに満ちている。

 

バッハは後年にBWV32、BWV57などダイアローグ・カンタータを作曲しているが、変化に富むという点においてBWV60がもっとも独創的である。少し受難曲を聴いているような感覚に近いかもしれない。バッハの表現の幅の広さを実感できるカンタータだと言えるだろう。