ヴュイエルモーズのフォーレを読む②

   フォーレにおける「ノクターン」という標題の持つ意味をヴュイエルモーズはこのように説明している。「せいぜい、夢見る人々を冥想へと導き入れる、夜の静けさに対する象徴的賛美」程度であると。独特の言い回しをするものである。

 フォーレのピアノ曲の題名がおそらくショパンからの影響だろうという推論は妥当な話としてよく言われるが、ノクターンにしろ、バルカローレにしろ驚くほどフォーレの性質に合っていると思わされる。ノクターンの場合どれもシンプルな三部形式の構成を取りながらも、気分の変化はあまりに微妙を極め、しばしば大作の様相を備えている。

 1875年から1921年までにまんべんなく13曲が作曲されていて、初期の方には長調が多く、後期に行くにつれて短調が多くなっていく。さらにロ短調やホ短調、変二長調は2曲ずつ含まれているため、独特の気分の連鎖が感じられる。

 さて、ヴュイエルモーズはそれらのノクターンを、「憂鬱」「無頓着」「夢想的」と、印象的な語彙で説明していく。とりわけ印象的な説明を抜粋するなら、共に1890年代に作曲された第6番と第7番の対照的な音楽性についての分析を上げてみたい。第6番を「夜の呪文をすべて閉じ込めた夢の流れの中にあって、その高貴さと生来の貴族性をいつも保ち続けている」と語り、作品に溢れる超自然的な穏やかさや美しさをこれでもかと賞賛する。一方、第7番はというと、「厳しい美しさ」、「書法が厳しい」と難解な部分を指摘しつつ、「真の傑作」であるとこちらも絶賛している。

 個人的な感想を話せば、この第6番、第7番は凝縮度、集中度という意味において最高に研ぎ澄まされている印象を受けた。特に第7番のクロマティックな進行には魅惑的なメランコリーを感じずにはいられない。ほかの作品では、いかがわしいマーチのようなリズムが癖になる第10番、崇高さと簡素さの中で移ろいながら高次の領域へと誘う後期のノクターンなどそれぞれの曲が個性を持っている。

 いずれにしても一曲一曲の品質が高いので聴き応えは十分である。